生活に溶け込む江戸から近代の歴史
南千住は下町らしい人情豊かな佇まいと、江戸時代から近代、現代に至る人々の営みの歴史が生活の中に溶け込んでいる街です。

生活に溶け込む千住製絨所の煉瓦塀跡
明治12(1879)年に創業された官営の羊毛工場「千住製絨所」の煉瓦塀の跡です。現在は南千住警察署や荒川総合スポーツセンターなどが建っている付近の約3200坪に及ぶ広大な敷地を取り囲んでいたそうです。敷地の西側と東側に一部が残っていて、これは東側の塀です。角を曲がったところにはスーパーマーケットがあり、塀の中の一部に駐輪場が見えます。歴史的に貴重な塀ですが、ただ保存されているだけでないのがいいです。

迫力満点の円通寺の聖観世音像
円通寺には、彰義隊の隊士266体の遺骸が眠っているそうです。その縁で、境内に は上野の寛永寺に建っていた旧黒門が移設されていて、彰義隊が新政府軍と戦った上 野戦争の激しさを今に伝える弾痕が数多く残っています。とはいえ、聳えるように立 っている聖観世音像は高さが12mもあるそうで、他を圧する迫力です。

杉田玄白らが腑分けを見学した回向院
小塚原回向院は、南千住駅そばのコツ通り沿いにあります。現在の本堂は昭和49(1974)年に建立されましたが、創建は寛文7(1667)年。本所回向院の別院として建てられ、小塚原刑場で処刑された処刑者や無縁仏を葬っています。ここで杉田玄白や前野良沢らが、腑分け(解剖)を見学して『解体新書』を刊行しました。それを記念した観臓記念碑が門を入ってすぐの右側にあります。記念碑自体は大正11(1922)年に建てられましたが、戦災で破損し、『解体新書』の扉絵をかたどった青銅版を移設して再建したそうです。

願い事を託されたおびただしい数の狐像
「南千住仲通り」をちょっと行くと、この豊川稲荷に遭遇します。石塀に囲まれた小さな社ですが、きれいに整備されていて、地域に愛されていることがよくわかります。目を引くのが所狭しと置かれた、かわいらしい狐像。商売繁盛、家内安全、開運出世の神様とあって、合格祈願などの願い事をこの狐像に託しています。

南千住のソウルフード青木屋さんのコッペパン
南千住のソウルフードともいえる青木屋のコッペパン。揚げたての具材を特注のコッペ パンに挟んだボリューム満点のサンドイッチです。青木屋は昭和32(1957)年創業。朝7時から具材がなくなるまでの営業。揚げたて熱々のコロッケ、メンチ、ハムカツ等が20cmはあるかというコッペパンに挟まれます。朝から行列ができて午後には売り切れるので、勝負は昼前まで。行列が落ち着いたら、なんて呑気に構えていると店が閉まってしまいます。
(岡田)

