取材さんぽ《碑文谷》

「谷畑の権現様」と親しまれる熊野神社

建立年月日は不明らしいのですが、自由が丘や緑が丘一帯が「谷畑(やはた)」と

呼ばれていたころから、権現様として親しまれていた、と記録があります。

駅前の喧騒を忘れさせる静寂な空間です。

御神木の夫婦松もあり、縁結びのご利益もあるようです。

 

自由が丘誕生の祖 栗山久次郎翁

この銅像は熊野神社の参道の木立の中に建っています。

久次郎は農業を営み、碑衾(ひぶすま)村の村長も務めました。

自由ヶ丘学園の創立者・手塚岸衛の意見に共鳴して自分の土地を貸し、

町名も自由ヶ丘(現在は自由が丘)に改名するなど

街の発展に寄与したことから、自由が丘誕生の祖といわれています。

 

防犯カメラが見守る町内

碑文谷警察署管内には至る所に防犯カメラがあります。

ここ大岡山町会には18台の防犯カメラが設置されていて、

町内を見守っていました。

 

東急線大岡山駅前の大岡山北口商店街の入り口も防犯カメラが見守っていました。

 

碑文谷防犯協会の様子は、広報誌「家庭と防犯」10月号に掲載予定です。

(岡田)

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